ここ最近なんとなく、今まで自分がたどってきた道について、ふと考えることが多くありました。
私が韓国という国に関わってから早6年。
私はこれまでどのように韓国と関わってきたのか。
一度、振り返る時間を設けてみようと思いました。
韓国の文化や言葉が大好きで、留学やワーホリを通して韓国に来てはみたものの、「あれ?なんか違う?」「私合わないかも…」「早くここから逃げ出したい…」と思っている方に、特に読んでもらいたい記事です。
Contents
こまるにとっての韓国とは
私にとって韓国って、どんな国だろう。どんな存在だろう。
これについては、今までにもたくさんたくさん考えたけど、結局答えを出せませんでした。
考えても考えても、その答えをひとつに絞ることができないんです。
でもある日、それは当然のことなんだと気付きました。
なぜなら、その時どきで、自分にとって「韓国」という場所の見え方は全部違ったから。
「留学してワーホリして、韓国人と結婚して、韓国に住んでいる」と言うと、周りはみんな「うらやましい」とか「憧れる」とか「楽しそう」とか言ってくれるんです。
「韓国が大好きだから、こまるちゃんはそこまでできるんだね」と。
確かに楽しい!
自分の選択に後悔したこともないし、今もとっても幸せです。
でもね。
韓国という国が私にとって「無条件に幸せな場所」というわけではありませんでした。
今まで、この国に色々なかかわり方をしてきたけれど、韓国が私に見せる顔は全部違った。
そしてこれから生活していく中で、もっともっと色々な顔を見ることになると思います。
私が感じたこと、その時の考え、全てを言葉にするのは難しいですが、今までの感じ方を大まかにまとめてみようと思います。
自分が感じたことを忘れないための、こまるの、こまるによる、こまるのための備忘録って感じかな笑
ソウル女子大学短期語学研修の時の韓国
この時は、韓国という国の全てがキラキラして見えた。
日本にないもの、習慣、人々の生活、韓国人の友達、韓国語…
全部が新鮮で、今までに触れたことのないものに触れて、全部が良く見えた。
嫌な思いをしたとしても、よく見える部分がそれをカバーして、無かったことにしてくれた。
好きに始まり好きで終わって、その後もずーっと「好き」が続いた。
国民大学に留学したときの韓国
大好きな韓国で、大好きなサークルの同期や友達に囲まれて、毎日を過ごすことが楽しくてたまらなかった。
韓国人だけの集まりに入っていくことで刺激もたくさん受け、彼氏もできて韓国語もどんどん上達し、韓国で生活するのにほとんど不自由がなくなった。
それと同時に、韓国の良い部分だけではなく、自分にとっては理解し難い部分や受け入れ難い部分が見えてくるようになった。
どこかで日本と比較して、日本よりも未熟な部分を見つけては批判的な姿勢になったり、歴史的な部分でやたら敏感になって傷ついたりもした。
「好き・嫌い」という言葉では表現できない、色々な想いを巡らせた時期。
ワーホリの時の韓国
留学の時とは違い、韓国は「私にとっては外国なんだ」と感じることも多くなった。
韓国で働くことは簡単なことではなかった。
文化の違い、会社の制度の違い、働く姿勢の違い、働き方の違い、全てが新鮮であると同時に辛かった。
人間関係に悩んだり、このままここにいていいのか、自分はこの国で生きていけるのか、将来の自分の居場所に不安を感じて、精神的にも不安定になった。
この時は、「韓国が好き」という気持ちだけでは色々な気持ちをカバーしきれなくなっていた時期でもあった。
それでも多くの人に支えられ、たくさんの経験を積む中で、自分が韓国で生きていく姿が見え始めた。
韓国のあらゆることを「好き、嫌い」という言葉で言い表そうとすることは無くなった。
どんなことが起きても「理解しようと努力する姿勢が大切」ということを、身をもって感じた時期。
韓国人の旦那さんと結婚し、移民してからの韓国
ワーホリの1年間で、韓国の素敵なところ、誇れるところ、韓国に見習うべきところ、これは受け入れ難いなっていうところ、ここは改善して欲しいっていうところ…
たくさんの面に触れて、色々考えることもあったけれど、「それでもやっぱり私には韓国という国が肌に合っている」という答えが、いつも後ろをついてきた。
「はあ。なんでこうなの?」
「私は、そうは思わない」
「理解しようと努力はしてみたけれど、これについてはやっぱり理解できない」
「理解はできるけど納得がいかない」
こんな考えをするのは日常茶飯事だった。
どんなに韓国が好きでも、生活していればこのような考えや気持ちが出てくるのは誰でも当然のこと。
だって私は韓国人じゃないもの。
同じ国の人でも考え方や意見が違うのに、外国人がその国のすべてに合わせるのはどうしたって限界がある。
いくら韓国語を理解していても、文化や風習を理解していても、ここでは自分が外国人だということに変わりはなかった。
それでも、私には韓国が肌に合っていた。
時々立ち止まって、モヤモヤしながらも、周りを見渡せば支えてくれる人たちが必ずそばにいた。
自分をたくさん愛してくれて守ってくれる人がいた。
ここでなら幸せに暮らせると思った。
私には、帰る場所が2つある
誤解して欲しくないのは、韓国が大好きで、これからの人生の拠点を韓国に移しても、日本を忘れたことは一度もないということ。
そりゃ、日本生まれ日本育ちですもの。
日本食が大好きで、日本の空気が大好きで、日本の文化が大好きで、日本人が大好き。
精神面でも技術面でも、世界に誇る日本だと思ってる。
私は、日本人であることを心から誇りに思います。
生まれ育った場所と、これから生きていく場所。
私にとってはどちらも大切な故郷。
私には、帰る場所が2つある。
これから生きていく場所でなにかあったら、生まれ育った場所に帰ればいい。
そう思えるだけで、気持ちがスッと楽になります。
これから
多分この先、生きていく中で、私の韓国に対する考え方や気持ちはその都度変化するはずです。
子どもが生まれたり、新しい環境や人に出会ったり。
そして、多分私は「自分にとって韓国はどんな国なのか」という問いには一生答えられないと思います。
自分でもよくわからないまま死ぬんじゃないかなと思う笑
ここでの生活が息苦しくなって、日本の空気が吸いたくて帰ることもあれば、あのきれいな日本の空や海が見たくて帰ることもあるだろう。
ある日、韓国イヤイヤ期がやってきて「本当の意味で」帰ることになるかもしれない。(そうならないことを祈っているけれど)
この先の人生、何が起こるかはわからないけれど、どこにいたって困難も苦労も感じずに生きることはできない。
それは日本にいても同じこと。
私はこの国で揉まれながら、多くのことを感じ、経験しながら、韓国のことをたくさんたくさん愛していきたいと思います。
「あー楽しかった。日本も韓国もありがとう。大好き!」
って言いながら家族に見守られて死ぬのが、私の人生最大の夢。
夢叶えます。
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